国旗の中央には、世界遺産にもなっているアンコールワットがデザインされてします。白で描かれているのは仏教を象徴しています。
上下の青は王室の権威を、赤は国民の忠誠心を表しています。
現在の国旗は、1953年にフランス保護領から独立し、カンボジア王国となったときに使われていたものと同じデザインで、1993年に立憲君主制が回復したあとで制定されました。
カンボジア国旗の変遷
カンボジアの国旗は、政変のたびに変更されてきた歴史があります。
当時、この地域は勢いのあるシャム(現在のタイ)とベトナムという2強国から挟み撃ちにされていて、たびたび戦場と化していました。
フランスの保護国となったこの頃には、すでにアンコールワットが国旗に描かれていました。
日本の統治時代には、上から見た塔の配置をデザイン化した旗が使用されていました。
現在使用されている国旗とほぼ同様のデザインです。
クメール共和国とは、王政を廃止して成立された、かつてカンボジア内にあった国家です。
アンコールワットの図案はカントン部に配置され、3つの星が追加されました。この3つの星は「国、宗教、カンボジア共和国」「立法、行政、司法」「仏教の三宝である仏、ダルマ、サンガ」を表しています。
民主カンプチアとは、あの悪名高いポル・ポト政権の正式名称です。
国旗のアンコールワットは黄色のシルエットとして表現されました。
この旗はクメール共和国の旗に取って代わり、1976年1月にカンボジアの公式の旗になりました。
1975年4月から1976年1月まで国連本部でも公式に使用されました。
赤は革命と血を表し、黄色のアンコールワットは「人々、労働者、農民」を表しています。
ベトナム軍によるカンボジア侵攻で、民主カンプチアは崩壊しました。
カンプチア人民共和国が樹立され、国旗も変わりました。
赤は血と革命を象徴しています。5本の塔を持つアンコールワットのシルエットは、カンプチアの兵士、商人、労働者、農民、知識人の団結を表しています。
1989年、フンセン首相は国をカンボジア国と改名し、国旗を変更しました。
真っ赤ではなく、上半分が赤、下半分が青で、以前のカンボジア国旗の青い色が復活しました。
中央に黄色のアンコールワットが描かれました。
長らく続いていたカンボジアの内戦が終結し、国連の機関である、国際連合カンボジア暫定統治機構(United Nations Transitional Authority in Cambodia:UNTAC 事務総長は明石康)がカンボジアを統治することになりました。
これは国連の旗から派生した図案です。白いカンボジアの国土に、クメール文字で「Kampuchea(カンボジア)」と書かれています。
1993年5月に国民議会総選挙が行なわれ、立憲君主制が採択されました。
同年9月24日、シハヌークが国王に再び即位し、カンボジア王国がおよそ23年ぶりの統一政権として誕生しました。
UNTACの暫定統治は1993年9月に終了しました。
カンボジア内戦前のカンボジア王国の国旗が再び採用され、現在に至っています。
建物が描かれている国旗
カンボジアのほかにも建物がデザインされている国旗がいくつかあります。
アフガニスタンの国旗
中央にはモスクが描かれています。 |
サンマリノの国旗
山頂に3つの塔が建っています。 |
スペインの国旗
後のスペイン王国の中核となるカスティーリャ王国の城が描かれています。 |
ポルトガルの国旗
ムーア人から奪い返した7つの城砦が描かれています。 |
カンボジア国旗のパーツごとの説明
アンコールワット
王室の権威
国民の忠誠心
カンボジアの基礎データ
面 積 | 181,000km² |
---|---|
首 都 | プノンペン |
言 語 | カンボジア語 |
主要産業 | 農林水産業、工業、サービス業 |
通 貨 | リエル |
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