1881年に、エストニアの学生会ヴィロニア(Vironiya)のシンボルとされた青・白・黒の横三分割旗が、現在の国旗の原型となっています。
ソ連時代に一度廃止されましたが、独立運動によってよみがえったデザインで、1990年に国旗として制定されました。
エストニア憲法第7条によると、青・黒・白はエストニアの国民色です。
青はこの国の空、湖、海の象徴です。黒は祖国の土地への愛着、そして過去100年にわたるエストニア人の暗黒の歴史を、白は自由と幸福に対するエストニアの人々の願望の象徴です。
エストニア国旗の変遷
この頃のエストニアは、スウェーデンの支配にあり「バルト帝国」と呼ばれていました。
1721年に締結された「ニスタット条約」により、スウェーデンはこの地域を放棄し、ロシア帝国の支配下になりました。
1917年にロシア革命が起こり、1918年2月24日にエストニア共和国は独立を宣言しました。
1939年に第二次世界大戦が勃発しました。
エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国は、旧ソビエト連邦の侵攻によって1940年6月に占領されました。
この国旗は同年10月31日のエストニア共和国最高会議幹部会令によって承認され、同時にこれまでの国旗と国章は「ブルジョワのシンボル」として禁止されました。
1953年2月、国旗はグラフィック・デザイナーのパウル・ルフテインのデザインによるものに変更されました。
1990年5月、再び独立宣言をして「エストニア・ソビエト社会主義共和国」は「エストニア共和国」と改名されました。
そして、1938年に制定されたエストニア共和国憲法が復活し、国旗もその当時のデザインに戻されました。
提案されたデザイン
独立直後の1919年に提案されたスカンジナビア十字の国旗です。 | 2001年、北欧の国々とのなつながりを示すために、国旗をスカンジナビア十字にする提案がありました。 |
エストニア国旗のパーツごとの説明
空、湖、希望、友情
過去の抑圧
雪、明るい未来、発展
エストニアの基礎データ
面 積 | 45,000km² |
---|---|
首 都 | タリン |
言 語 | エストニア語 |
主要産業 | 製造業、林業、繊維、農業 |
通 貨 | ユーロ |
エストニア国旗のフリー素材
↓イラストACから無料でダウンロードできます。jpg、png、AI(Adobe Illustratorファイル)
コメントを残す