赤地に黒の双頭の鷲のデザインで、この鷲は「スカンデルベクの鷲」と呼ばれ、15世紀の民族的英雄スカンデルベクが紋章として考案したといわれています。
アルバニア人は、鷲の子孫という伝説があり、かつてオスマン帝国の侵略から自国を守り抜いたスカンデルベクも自らの象徴に鷲を選んだそうです。
地色の赤は、オスマン帝国のシンボルカラーであり、長い間その支配下にあったことの名残です。2つの頭の鷲は、東洋と西洋を結ぶ要所であることを示しています。
現在の国旗は民主化が進んだ直後の1992年に制定されました。
2002年には、地色の赤が明るく変更されました。
アルバニア国旗の変遷
アルバニアの国の体制は、これまで様々に変化してきました。それに伴い国旗も変更されました。
ただ、赤地に双頭の黒い鷲のデザインは変わらずずっと使われています。
1912年11月28日、アルバニアの独立が港湾都市のヴロラで宣言されました。
独立運動を主導したイスマイル・ケマリの掲げた旗が、新しい国家の国旗として採用されました。
現在の国旗にも続いている赤地に双頭の鷲のデザインは、アルバニアがオスマン帝国から独立した、このときに確立されました。
1914年、ドイツ貴族のヴィート公子ヴィルヘルム・ツー・ヴィートを公に迎え「アルバニア公国」となりました。
しかし、第一次世界大戦で公が国外に逃亡したまま帰国しなかったため、国内は無政府状態に陥りました。
1920年に、君主不在のまま摂政を置く形で政府は再建されましたが、政情は不安定でした。
1925年、隣国ユーゴスラビアの援助を受けて、アフメト・ベイ・ゾグは政権を奪取し、大統領となりました。アルバニアは共和国宣言を行い「アルバニア公国」は「アルバニア共和国」となりました。
しかし、アルバニアの共和国政府は長くは続きませんでした。
1928年、憲法改正を行いゾグ大統領は国王に戴冠し、ゾグー1世を名乗りアルバニアは再び君主国「アルバニア王国」となりました。
双頭の鷲の上には、オスマン帝国から国を守った英雄スカンデルベクが被っていた、山羊の角が付いた兜が描かれています。
1939年4月7日未明にイタリア軍が上陸し、小さな戦闘の後、アルバニア全土に進駐してきました。突如、アルバニアはイタリアに併合されました。
国王ゾグーは王妃と共に亡命し、イタリアとの連合という形でアルバニア国王にはイタリアのヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が即位しました。
第二次世界大戦中の1943年に、イタリアが連合国に降伏すると、今度はドイツ軍によってアルバニアは占領されました。
ナチスドイツによってアルバニアは統治されることとなりました。
1944年、ドイツの支配下にあったアルバニアは、アルバニア共産党ゲリラに打倒されました。
社会主義の臨時政府である「アルバニア民主政府」が成立されました。
旗の左上には、社会主義の象徴である黄色の鎌と槌があります。
1946年、ソビエト連邦の強い影響下で共産主義国家「アルバニア人民共和国」が成立しました。
1976年には、国名を「アルバニア社会主義人民共和国」へ改称しました。
紋章である双頭の鷲の上には、共産主義の象徴である五芒星が描かれました。
1991年、アルバニアの労働党政権は崩壊し、その名称を「アルバニア共和国」に変更しました。
国旗に描かれていた星が削除され、双頭の鷲のみとなりました。
2002年7月23日、国旗の地色の赤が明るく調整され、現在に至っています。
双頭の鷲が描かれている国旗
セルビアの国旗 | モンテネグロの国旗 |
アルバニア国旗のパーツごとの説明
「双頭の鷲」東洋と西洋の中間にある国を表す
オスマン帝国の支配下にあった名残
勇気、強さ
アルバニアの基礎データ
面 積 | 28,748km² |
---|---|
首 都 | ティラナ |
言 語 | アルバニア語 |
主要産業 | 農業、機械工業、鉱業、製造業 |
通 貨 | レク |
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