1848年に、フランスの自由思想の影響を受けた若者たちが、革命的な騒乱を起こしたときに登場した旗が原型となっています。この3つの色は、王国を構成する3つの公国(トランシルバニア、モルダビア、ワラキア)を表していたとされています。現在では、青は澄んだ空、黄は鉱物資源、赤は国民の勇気を象徴しています。
当時は、赤・黄・青の横三分割旗でしたが、のちに、縦三分割旗に変更になりました。以来、その時々で紋章がくわえられたこともありましたが、1989年の共産党一党独裁を廃止した政変以後、現在の国旗が使われています。
ルーマニア国旗の変遷
1859年、ワラキア公国とモルダヴィア公国が合併し、連合公国が成立しました。
色は青・黄・赤の三色ですが、横三分割のデサインでした。
1861年、ルーマニア公国へ改名しました。
1866年には新憲法が公布され、国旗は横三分割から縦三分割のデザインへ変更されました。
これは現在使用されているものと同じです。
第二次世界大戦後、ソビエト連邦に国土を占領されたルーマニアでは、1947年12月に王政は廃止され、ルーマニア人民共和国となりました。
共和国の成立に伴い、王国のすべてのエンブレムが禁止されました。
1948年1月、ルーマニア人民共和国憲法によると「ルーマニア人民共和国の国旗の色は、青、黄、赤で、垂直に配置され、黄色のフィールドの中央に共和国の紋章があります」と記されています。
紋章には、トラクターと朝日の畑に3つの煙突が小麦の穂に囲まれて、人民共和国と書かれたリボンで結ばれています。
ルーマニア人民共和国時代には、何度か中央の紋章が変更されました。
1965年には、あの悪名高いチャウシェスクが指導者となり、国名をルーマニア社会主義共和国へと変更しました。
中央の紋章には若干の変更が加えられました。
1989年、ベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアにも民主化の波が押し寄せてきました。
チャウシェスク大統領は銃殺刑となり、共産党政権が終わりました(ルーマニア革命)。
国旗のデザインは1866年のものが復活して現在に至っています。
似ている2つの国旗
ルーマニアの国旗は、偶然にもチャドの国旗に非常に似ています。ともに青、黄、赤の縦三分割旗ですが、一番の違いは青の色がチャドの国旗のほうが少し暗いことです。
このことは国際的な議論を引き起こしたことがありました。
2004年、チャドは国連にこの問題を調査するよう要請しましたが、ルーマニア側は旗に変更はないと発表しました。
ルーマニアの国旗 | チャドの国旗 |
ルーマニア国旗のパーツごとの説明
空
穀物、鉱物
勇気、独立闘争
ルーマニアの基礎データ
面 積 | 237,500km² |
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首 都 | ブカレスト |
言 語 | ルーマニア語、ハンガリー語 |
主要産業 | 金属、工業、鉱業、農業 |
通 貨 | レイ |
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