1821年に独立を果たした後、1825年に現在の国旗が制定されました。
赤・白・赤の縦三分割旗は、独立解放運動の指導者、サン・マルティンがピスコ湾に上陸したときに、赤い翼に白い旨の鳥を見て吉兆と喜んだことに由来しています。中央には国章が描かれています。国章には、月桂樹とヤシのリース、ビクーニャ(ラクダ科の動物)、金貨があふれる角などが描かれています。
この国章が省略されている旗が市民旗として使用されています。
ペルー国旗の変遷
16世紀なかば頃から、ペルーはスペインの植民地でした。当時のスペインの国旗が翻っていました。
1820年、スペインからの独立戦争の間に、イギリス生まれのウィリアム・ミラー将軍は新興国を象徴する最初の旗を掲げました。
元の旗自体は現在失われていますが、伝えられている説明によると、インティ(インカ帝国の伝説上の太陽神)を表す金色の太陽に紺の地色だったようです。
ホセ・デ・サン・マルティン将軍によって作成された最初の共和国旗です。
1822年3月、共和国最高議員が旗の新しいデザインを命じました。
ただ、この新しい旗は戦場で問題が発生しました。遠くからだとスペインの国旗と見間違えてしまうので、軍隊の区別が難しくなりました。
1822年5月に、旗のデザインを再び変更しました。
新しいバージョンは、赤の外側の帯と白い中央の帯に変更した縦三分割旗で、中心にインティを表す金色の太陽がありました。
1825年2月25日、シモンボリバルの政権時に、憲法制定会議は国のシンボルの法律を公布することにより、旗のデザインを変更しました。
このデザインは現在使用されている国旗とほぼ同じです。
1836年から1839年にかけて、ペルーは一時的に南ペルー共和国と北ペルー共和国に分裂し、そこにボリビアに加わり、ペルー・ボリビア連合を形成しました。
南部が最初に成立し、新しい旗が採用されました。
左に金色の太陽と上に4つの小さな星(アレキパ、アヤクチョ、クスコ、プーノ、共和国の4つのグループを表す)と右上部の緑と下部の白に分かれています。
ペルー・ボリビア連合の旗は、南ペルー、北ペルーとボリビアの紋章を中央に配置して、それを月桂樹で囲みました。
連合が解散した後、ペルーの旧共和国は、国旗のデザインを以前のものに復元しました。
1950年、オドリア大統領は国旗を現在の形に変更し、事実上使用されていたため、市民旗から紋章を削除しました。
似ている国旗
カナダの国旗 | メキシコの国旗 |
ペルー国旗のパーツごとの説明
オークの枝の冠、勝利と栄光
ビクーニャ(ペルーを代表する動物)、ペルーの生態系を表す
キナの木
豊穣の角から溢れだす金貨、鉱物資源を表す
勇気と愛国心
平和と名誉
ペルーの基礎データ
面 積 | 1,285,000km² |
---|---|
首 都 | リマ |
言 語 | スペイン語、ケチュア語、アイマラ語 |
主要産業 | 鉱業、漁業、農牧業、製造業、水産業 |
通 貨 | ヌエボ・ソル |
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