1897年に緑・黄・赤の横三分割旗が作られ、以来、イタリア占領時代を除いて、この三色旗が使われてきました。
現在の国旗は、連邦民主共和国が成立した翌年の1996年に制定されたもので、中央には、ソロモンの紋章が起源とされる国章が描かれています。
国章の星は、民族集団、進行、性別の違いに関わらず全てのエチオピア人が平等であることを意味しています。
エチオピアは、外国の占領からアフリカで唯一独立を守り通した国です。
なので、エチオピアの国旗に使われている緑・黄・赤は、その後に独立を果たしたアフリカ諸国や地域の国旗に敬意を表して採用されました。
この三色は「汎アフリカ色」と呼ばれています。
エチオピア国旗の変遷
この地域は、かつては「アピシニア」と呼ばれていました。
赤・白・紫の横三色旗の中央に、冠を被りリボンの付いた十字架を持ったライオンが描かれています。このライオンは、旧約聖書に登場する「ユダのライオン」といい、皇帝を象徴しています。
1881年から1889年の間、赤、黄、緑の3色のペナントが使用されていました。
19世紀末になると、イタリアからの侵略を受けましたが、第一次エチオピア戦争の末に撃退しました。
他のアフリカ諸国が次々とヨーロッパの列強国に植民地化されましたが、エチオピアは独立を保ちました。
現在の国旗に通ずる緑・黄・赤の横三色旗に、ユダのライオンを配した国旗です。
イタリアは、現在のエチオピア、エリトリア、ソマリアあたりの地を事実上の植民地化としました。この地域は、イタリア領東アフリカと呼ばれていました。
この時期、当時のイタリアの国旗が翻っていました。
1941年に、エチオピアは独立を回復しました。
それに伴い、以前の国旗が復活しました。
軍部による革命によって皇帝を排除したエチオピアは、社会主義国へと移行し、元陸軍少佐のメンギスツによる独裁政治が始まりました。
国旗の中央には、当時の行政区と同じ数の14本の光線がある太陽。その上に、産業用および農業用の歯車と鋤(すき)が重ねられています。
鋤は、教育を象徴するアラム語の「ha」に対応する「U」を描いたロープで縛られています。
1987年9月12日の新憲法で国旗が新しくなりました。
中央の国章も代わり、太陽の放射は14から39になりました。歯車や盾、下部のリボンにはエチオピアのライオンが描かれています。
紋章の上には、「社会主義エチオピアの暫定軍事政府」とアラム語で書かれています。
1991年5月に、メンギスツ政権にとどめを刺すワレリグン作戦が成功を収めました。
メンギスツ大統領はジンバブエに亡命し、16年に及ぶ独裁政治に終止符が打たれました。
暫定政府の旗は国章が無くなり、緑・黄・赤の横三色旗となりました。
1995年8月、新憲法が公布され、「エチオピア連邦民主共和国」と改称されました。
表現の自由や公正な選挙が実施されるなど、民主化へと歩み始めています。
国旗の中央には新しい国章が配されました。
青の円に、金色の五芒星が光線を発しています。
この五芒星は、旧エチオピア皇族の先祖だとされるソロモン王の紋章が起源とされています。
2009年8月28日に国旗のマイナーチェンジがありました。
中央の国章が大きくなり、明るい青は濃い青に変更となりました。
エチオピア国旗のパーツごとの説明
汎アフリカ色の国旗
「ソロモンの星」国家と国民の発展
平和
農業、豊かな実り、富
天然資源、希望
国民の勇気、流された血
エチオピアの基礎データ
面 積 | 1,104,000km² |
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首 都 | アディス・アベバ |
言 語 | アムハラ語、英語 |
主要産業 | 農業 |
通 貨 | ブル |
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